声優・大山のぶ代さんが現在どのような生活を送っているのか、認知症でドラえもんを忘れた!?という噂などを調査してみました。
大山のぶ代さんといえば、元祖ドラえもん声優として知られているレジェンド!
アニメ『ドラえもん』のドラえもん役が、声優・水田わさびさんに交代して10年以上経ちます。
2020年8月に最新作映画『ドラえもん のび太の新恐竜』が公開され、CMなどで目にする機会も増えたのではないでしょうか。
ドラえもん好きは知っておくべき、大山のぶ代さんの”ドラ声”!
そして、そんな大山のぶ代さんの歴史をぜひチェックしておきましょう!
目次
大山のぶ代の現在は?
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声優・大山のぶ代さんが、現在どのような生活を過ごしているのかを調査してみました。
元祖ドラえもんとして知られている大山のぶ代さんが、26年演じたドラえもん役を声優・水田わさびさんに託したのは2006年。
それから14年の月日が流れ、「ドラえもんの声といえば、水田わさびさん」という世代も多くなっています。
声優活動をしていない大山のぶ代さんは、何をしているのでしょうか。
大山のぶ代さんは現在、老人ホームで生活を送っているようです。
夫・砂川啓介さんがガンで入院した際、介護を受けられなくなった大山のぶ代さんは老人ホームに入所。
大山のぶ代さん夫婦を長年支えているマネージャー・小林さんが、面倒を見ながら入所者の方と交流を楽しんでいることが明かされています。
マネージャー・小林さんは、砂川啓介さんがなくなる間際に「ペコ(大山のぶ代さんの愛称)を頼む」と言伝を預かりました。
メディアの前に姿を現すことはありませんが、大山のぶ代さんが元気で過ごされていることが公表され、安心したファンも多いのではないでしょうか。
認知症でドラえもんを忘れた!?
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大山のぶ代さんが26年間主役を演じたアニメ『ドラえもん』を忘れた!?という噂を調査してみました。
大山のぶ代さんが、砂川啓介さんによってアルツハイマー型認知症であることを公表されたのは2015年。
症状は深刻なようで、大山のぶ代さんが覚えているのは夫・砂川啓介さんやマネージャー・小林さんなどわずかな知人だけ。
そして、5分前のことはすぐに忘れてしまうほど症状は進んでいるようです。
砂川啓介さんが、「ドラえもんが放送されているよ」と大山のぶ代さんに声をかけても、反応はないとのこと。
砂川啓介さんが、大山のぶ代さんとの介護生活を書いた著書『娘になった妻、のぶ代へ』では、壮絶な”老老介護”の実情が明かされています。
26年という人生の多くを捧げた大山のぶ代さん。
病気に逆らうことはできない現実が悲しいですよね。
大山のぶ代の旦那は?

出典:https://www.jprime.jp/
声優・大山のぶ代さんの夫・砂川啓介さんをご紹介します。
砂川啓介さんは、教育番組『おかあさんといっしょ』(NHK)で初代たいそうのおにいさんを務めた俳優です。
番組『お昼のワイドショー』(日本テレビ)で6年間司会を務めたり、舞台へ出演したりさまざまな活躍をしました。
妻・大山のぶ代さんと共著で料理本を出版するなど、俳優だけでなく作家としても多くのファンから愛されています。
砂川啓介は2017年に死去
大山のぶ代さんの夫・砂川啓介さんは、認知症をわずらう大山のぶ代さんを介護していました。
”老老介護”で精神をすり減らしながら、生活を送っていた砂川啓介さんは、自身も尿管ガンであることが判明。
2017年5月に入院し、治療を続け6月9日に退院します。
しかし、退院からわずか4日後に脳梗塞を発症し、再入院をするも同年7月11日に亡くなりました。
砂川啓介さんは生前、「ペコ(大山のぶ代さんの愛称)より先に逝ったら、葬儀はしないでほしい」と話していたのだとか。
親族のみで行われた葬儀の喪主を大山のぶ代さんが務め、認知症で夫の死を理解していたのか定かではありませんが、涙ぐんでいたようです。
大山のぶ代と砂川啓介の出会いは?

出典:https://bunshun.jp/
大山のぶ代さんと、夫・砂川啓介さんの出会いについてご紹介します。
2人が知り合ったきっかけは、1963年に公演された舞台『孫悟空』での共演。
大山のぶ代さんが、砂川啓介さんと結婚を考えるようになった出来事は、ある日2人がドライブをしていた際のこと。
高校生くらいの少年が、不良に絡まれているのを見かけた2人は、”道を訪ねる夫婦”のフリをして助けたというエピソードがあります。
特に相談もせず、とっさに夫婦を装った息のピッタリさに惹かれたんだとか。
まるでドラマのようなきっかけが素敵ですよね!
そんな出来事もあり、大山のぶ代さんと砂川啓介さんは、1964年2月に結婚しました。
残念ながら、子供には恵まれませんでしたが、砂川啓介さんは大山のぶ代さんのことを「ペコ」と愛称で呼ぶほど仲が良かったようです。
大山のぶ代は若い頃どんな活躍をしていた?

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声優・大山のぶ代さんが、若い頃どのような活躍をしていたのかご紹介します。
大山のぶ代さんは、”声優・女優・料理研究家”という多岐にわたる才能を若い頃から発揮。
主にどのような作品に出ていたのかなどを、詳しく見ていきましょう!
元祖ドラえもん
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大山のぶ代さんといえば、ドラえもんです。
1979年4月〜2005年3月までの26年間を、ドラえもんに捧げた大山のぶ代さん。
”ドラ声”と親しまれた大山のぶ代さんが、直腸ガンをきっかけに勇退した2005年。
早15年の月日が流れましたが、未だ鮮明に”ドラ声”を思い出せるファンは多いのではないでしょうか。
ドラえもんの声が、声優・水田わさびさんに変わった時の衝撃は忘れもしません。
そんな大山のぶ代さんがドラえもんを演じる中で、気をつけていたことは以下のこと。
- ドラえもんは4〜5才の男の子がイメージ
- 丁寧な言葉遣い
- 1人称は「ボク」、助詞に「です」
全て、アニメ『ドラえもん』を見ている子供に向けて配慮された大山のぶ代さんのこだわりだったようです。
声優・水田わさびさんが演じるドラえもんと、見比べてみるのも面白いかもしれませんね。
女優・タレントとして活躍

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1956年にNHKドラマ『この瞳』で、女優デビューを果たした大山のぶ代さん。
女優と声優、二足のわらじを履いていた大山のぶ代さんは、どちらも多忙を極めていました。
1956年〜2007年まで活躍。最後に出演した映像作品は月曜ゴールデン『探偵 左文字進11「完璧な犯罪」』(TBS)の家政婦役です。
また、さまざまなバラエティ番組にも出演しています。
番組『徹子の部屋』(テレビ朝日)では、50年以上の付き合いがある親友・黒柳徹子さんと共演することもありました。
声優としての大山のぶ代さんを知る人は多くても、女優としての大山のぶ代さんを知る人は現在少ないのではないでしょうか。
50年以上キャリアがある大山のぶ代さんは、一体どのような演技を見せてくれたのか気になります。
料理研究家として多くの料理本を出版
女優・声優として知られている大山のぶ代さんは、料理好きな一面もあります。
エッセイ『ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年のうちあけ話』は、大山のぶ代さんがドラえもんを勇退してから出版されました。
他にも、エッセイ本は1984年に出版。
大山のぶ代さん著書のエッセイ本は2冊だけですが、料理本は20冊以上も!
1981年に出版された料理本『大山のぶ代のおもしろ酒肴』は、136万部を超える大ヒットを記録しています。
腕前はプロ並みで、かつてテレビ番組の料理コーナーを持っていました。
また、大山のぶ代さんには”水の研究家”としても知られていたようです。
なんと、一口水を飲めばどこの水か判断ができる特技があったんだとか。
その特技を活かし、旧厚生労働省「おいしい水研究会」や旧国土庁「水を語る女性の会」で委員を務めていました。
声優・大山のぶ代の主な出演作品まとめ
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声優・大山のぶ代さんの主な出演作品を一覧にまとめてみました。
【作品名】 | 【放送年】 | 【役名】 |
『ハッスルパンチ』 | 1965年 | パンチ |
『タコのロクちゃん』 | 1965年 | ロクちゃん |
『ハリスの旋風』 | 1966年 | 石田国松 |
『リボンの騎士』 | 1967年 | 眠りの精サンド |
『妖怪人間』 | 1968年 | ジャム |
『サザエさん』 | 1969年 | 磯野カツオ |
『のらくろ』 | 1970年 | のらくろ |
『ハゼドン』 | 1972年 | ハゼドン |
『無敵超人ザンボット3』 | 1977年 | 神勝平 |
『ドラえもん』 | 1979年〜2005年 | ドラえもん |
『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』 | 2013年 | モノクマ |
1969年に放送されたアニメ『サザエさん』に出てくる磯野カツオを演じたのは、大山のぶ代さんです。
”初代カツオ”と言われている大山のぶ代さんのカツオは、FODやAmazonプライムビデオで配信中で、当時の放送を鮮明なカラーで視聴することができます。
興味のある方はぜひ、視聴してみてはいかがでしょうか。
ドラえもんの後はモノクマで有名
2005年にドラえもん役を降板した大山のぶ代さん。
体調を崩し、降板後は安静に過ごされると多くのファンが思っていました。
しかし、2010年にPSPソフト『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』でモノクマ役を演じ声優復帰を果たします。
5年ぶりの復帰に多くのファンが喜び、「のぶ代さん、お帰りなさい!」とSNSも大盛り上がり。
実は、大山のぶ代さんが悪役を演じたのは『ダンガンロンパ』が初めてなんだとか。
さらに驚きなのは、ドラえもん役以来34年ぶりに新キャラクターを演じていることです。
大山のぶ代さんは2010年〜2014年までモノクマを演じ、以降は2代目就任した声優・TARAKOさんが演じています。
認知症と闘いながら演じていたモノクマを、大山のぶ代さんは「相変わらず可愛いわね」と話していたこともありました。
TARAKOさんに引き継がれたモノクマを、大山さんが「大切にしてあげてね」とエールを送ったメッセージが、舞台『ダンガンロンパ THE STAGE ~希望の学園と絶望の高校生~2016』公式サイトに掲載。
大山のぶ代のプロフィール
初代ドラえもんの声優・大山のぶ代さんのプロフィールをご紹介します。
芸名:大山 のぶ代 | 本名:山下 羨代 |
生年月日/年齢(2020年9月現在) | 1933年10月16日 |
出身地 | 東京都 |
代表作 | アニメ『ドラえもん』 |
活動期間 | 1956年〜2016年 |
幼い頃から、特徴的な声だった大山のぶ代さん。
周囲から声のせいでからかわれることもあり、引っ込み思案だったが、母に「聞き取りやすくハキハキ話しなさい」と言われます。
中学生の時には、応援部に入ろうとしますが女子生徒の部員は認められず、放送研究部に所属しました。
高校生で演劇部に入部し、卒業後は演劇の道に進むことを決意。
そんな大山のぶ代さんが芸能界入りしたのは、1956年のことです。
NHKドラマ『この瞳』で、女優デビューを飾った大山のぶ代さんは、翌年1957年にアニメ『名犬ラッシー』の吹き替えで声優デビューを果たします。
大山のぶ代さんは代表作アニメ『ドラえもん』で、1979年4月〜2005年3月までの26年間を担当しました。
2001年に直腸ガンをわずらい長期入院しなければいけなくなった時、ドラえもん勇退を決意した大山のぶ代さん。
しかし、長年現場を共にしたスタッフや、大山のぶ代さんのブランドがあるドラえもんの多大な影響力を考えた結果、2005年の降板に至ったのだとか。
入院期間中も、アニメ『ドラえもん』を楽しみに待つ子供たちのため、休まず病室で収録を行っていました。
私生活では、麻雀やブロック崩しゲーム『アルカノイド』にハマっていたようです。
別荘にはアルカノイドの筐体(きょうたい)を所有し、プロ並みの実力でテレビに取り上げられることもしばしば。
そんな大山のぶ代さんは、機械オンチだったという噂もあるから不思議。
夫・砂川啓介さんが機械に強くて、生活を支えてくれていたのかもしれませんね。
【まとめ】現在は余生をのんびり過ごす元祖ドラえもん
元祖ドラえもんの声優・大山のぶ代さんの現在や夫・砂川啓介さん、若い頃の活躍などをご紹介しました。
- 現在は老人ホームで過ごしている
- 認知症でドラえもんを忘れている
- 夫・砂川啓介さんは晩年まで妻を心配していた
- 大山のぶ代さんをサポートしているのはマネージャー
- 若い頃は女優・声優・料理研究家
日本の少年少女を魅了した大山のぶ代さんの声に「帰ってきてほしい」と思っているファンは多いです。
しかし、病気の症状で”ドラえもんを覚えているかどうかも怪しい”と言われているのが現実。
今は大山のぶ代さんが、元気に暮らしているという様子が公表されたことに喜びましょう!
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