アウン・サン・スー・チーさんといえば、1991年7月10日にサハロフ賞受賞し、同年10月14日にはノーベル平和賞を受賞したミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者です。
映画監督や、国家顧問(事実上の国家元首)の顔もあり現在、国民民主連盟党首でもあります。
そんな日本でも有名なアウン・サン・スー・チーさんが、また、2021年ミャンマークーデターを受けて、自宅で軟禁中という報道が出ました。
なぜ、軟禁されてしまったのでしょうか。
今回は、アウンサンスーチーの現在は軟禁中?なぜ?若い夫や息子についてもチェックしていきたいと思います!
目次
アウンサンスーチーの現在
アウンサンスーチーさんが、自宅で軟禁中だと、今月に入り報道されました。
あれ?前にも自宅軟禁されて、解放されなかったっけ?
って感じますよね。
いったいアウンサンスーチーさんとミャンマーでは何が起こっているのでしょうか。
アウンサンスーチー位置不明の場所で拘束されている
アウンサンスーチーさんは、ミャンマー国軍によるクーデターにより、拘束されました。
現地メディア「ミャンマー・ナウ」によると、アウンサンスーチーさんの盟友であるウィンミン大統領は刑法違反の扇動罪で起訴されました。
アウンサンスーチーさんは、2月1日に軍に拘束されてから自宅軟禁を経て、現在では位置不明の場所で拘束されているようです。
なぜミャンマーでクーデターが起きたのか
軍部はクーデターを起こした理由として、NLDが大勝した昨年11月の総選挙で不正があったと主張。
しかし、証拠は示していません。
- NLDは、国民民主連盟の事でミャンマーに存在する政党
ミャンマー各地の主要都市では今年の2月28日、クーデターに抗議する市民デモが続き、実弾発砲など武力行使を強化しました。
国連人権高等弁務官事務所は、少なくとも18人が死亡、けが人も30人以上出ているそうです、、、
それでもデモは3月1日になっても続き、アウンサンスーチー氏をはじめ国民民主連盟(NLD)幹部の解放や、選挙で公選された政府の復活を要求しています。
アウンサンスーチー中継で初出廷
拘束されたアウンサンスーチーさんは拘束から1カ月の3月1日、ビデオ中継によって首都ネピドーの法廷に初出廷し、罪状を読み上げられました。
弁護団によると、現在アウンサンスーチーさんの健康状態は良好だそうです。ちょっと安心ですね。
軍部は当初、アウンサンスーチーさんの逮捕容疑は無線機の違法輸入や自然災害法違反だとしていましたが、この日の法廷では、昨年11月の総選挙の際、選挙運動で新型コロナウイルス対策のための行動制限に違反し、国民に「恐怖と懸念」を与えたという罪状が追加されました。
当初の容疑の量刑は、有罪になれば禁錮最長3年。次回の審理は3月15日に行われるそうです。
ミャンマー国内ではクーデター以来、アウンサンスーチーさんの人気は飛躍的に高まっているそうなんです。
元々人気ありますしね(o^^o)
ですが、国際社会だと軍部による少数民族ロヒンギャの民族虐殺を座視したとして、その評価には汚点がついたままだそう。
アウンサンスーチーロヒンギャ民族虐殺の汚点とは?
アウンサンスーチーさんを調べていると『ロヒンギャ民族虐殺』と言う不気味なワードが出てきます。
ロヒンギャ民族についてや、アウンサンスーチーさんがどう関わっているのか、少し調べてみたいと思います。
ロヒンギャ民族とは
主にミャンマー西部のラカイン州に暮らす約100万人のイスラム系少数民族。
農業で生計を営むが、商人としての交易活動も盛んであるそうです。
しかし、ミャンマーでは「不法滞在者」と見なされているため、移動の自由は認められておらず、修学も、就職も厳しく制限されています。そのため、農業や日雇い以外の仕事に就くことは困難だそうです…。
ロヒンギャ民族は国籍を持たず、1990年代から数十年にもわたって差別と激しい迫害に苦しめられ、多くの人が国外に逃れてきています。
アウンサンスーチーとロヒンギャ民族
仏教徒が多数派のミャンマーでは2017年にイスラム系のロヒンギャに対し、軍が掃討作戦を実行。
数千人が死亡、70万人以上が隣国バングラデシュへ逃亡すると言う事が起こりました。
国際社会からは残虐行為との批判が上がり、その矛先はノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチーさんに向けられました。
アウンサンスーチーさんは、2019年に国連の国際司法裁判所(ICJ)に出廷し、同国軍が少数民族ロヒンギャに集団虐殺を行ったとの訴えに「不完全で不正確だ」と反論。
アウンサンスーチーさんは、多くのロヒンギャが暮らしていた西部ラカイン州の問題は、何世紀も前にさかのぼると指摘。
ミャンマー政府は、同州における過激派の脅威と戦っており、暴力行為は「内政上の武力衝突」だと主張。
アウンサンスーチーさんはまた、武力衝突の発生は、ロヒンギャの武装勢力による政府治安部隊への攻撃がきっかけだと述べたそうです。
こんな過激な事がおこっていたんですね。
国が違うとはいえ、日本とはあまりにかけ離れている現実で、なんと言っていいか分かりません。
アウンサンスーチーの旦那や子供はどんな人?
アウンサンスーチーさんは、その立場のことや軟禁、裁判などが日本のニュースではピックアップされますが、夫や子どもはどんな方なのでしょうか。
アウンサンスーチー夫は大学の後輩
インドのデリー大学やイギリスのオックスフォード大と言う名門で学ぶと、その後は、1969年から1971年にかけてニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補を務めます。
1972年にオックスフォードの後輩で、当時ブータン在住だったチベット研究者のマイケルアリスさんと結婚しました。
アウンサンスーチーはイギリスで専業主婦をしていた
結婚後、国際連合事務局を退職し、専業主婦となります。
1973年に長男のアレキサンダー さんを出産し、1977年には次男のキムさんを出産しました。
アウンサンスーチーさんは、結婚後、26歳から40歳までのほとんどの期間をイギリスで専業主婦として過ごしました。
これは本当に驚きでした。
その後、子育ても一段落した40歳頃に、再び大学院で学び始めたそうです!
母の看病のため帰国したアウンサンスーチー
1988年3月31日に母が危篤との知らせを受け、病気の母を看護するため4月2日に帰国したアウンサンスーチー。
1987年9月の高額披露廃止令などをきっかけとして学生を中心に始まった反政府運動(8888民主化運動)は、デモ中の学生が虐殺された3月以降に激化していた頃です。
デモ隊の学生たちは、アウンサンスーチーさんの父親である、故アウンサン将軍の写真を掲げていました。
『建国の父』の娘として伝説的ですらあったアウンサンスーチーさんがビルマ(ミャンマー)に戻っていることを知った民衆は、民主化運動への合流をアウンサンスーチーに要請。
アウンサンスーチーさんは8月26日にシュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向けて演説を行いました。
アウンサンスーチーさんは9月に、翌1990年に予定された選挙への参加を目指して、1988年の国民民主連盟(NLD)の結党に参加し、書記長に就任。
全国遊説を行いますが、1989年7月に自宅軟禁され、NLD書記長を解任、国外退去を条件に自由を認めるともちかけられたが拒否したそうです。
軍事政権は1990年5月27日に総選挙を行い、アウンサンスーチーさんの率いる国民民主連盟が大勝。
しかし、軍政側は
- 「民主化より国の安全を優先する」
と権力の移譲を拒否。
この強硬な姿勢は国際的に激しい非難を招き、アウンサンスーチーは1990年10月12日にトロルフ・ラフト財団からトロルフ・ラフト人権賞(en:Thorolf Rafto Memorial Prize)を受賞。
1991年7月10日にサハロフ賞受賞、10月14日にノーベル平和賞を受賞しました。
ノーベル賞賞金の130万ドルはビルマ国民の健康と教育のための基金の設立に使われましたが、アウンサンスーチーさん本人は自宅軟禁中のため授賞式に出席できませんでした。
アウンサンスーチー息子が代わりにノーベル平和賞の受賞スピーチを行った
44歳から65歳までの21年間のうちの約15年間を自宅軟禁状態に置かれたことアウンサンスーチーさん。
この間、夫のマイケルさんは、妻のノーベル平和賞受賞を働きかけ、受賞すると、息子のアレクサンダーさんが、アウンサンスーチーさんの代わりに、受賞のスピーチをしました。
アウンサンスーチーさんは、そのスピーチをラジオで聞いていたそうです。
アウンサンスーチー夫は再会できないまま亡くなってしまう
1999年3月、夫のマイケル・アリスさんは前立腺癌で死亡しています。
ビルマ入国を求めたマイケルさんの再三の要請を軍政は拒否。再入国拒否の可能性があるアウンサンスーチーは出国できず、夫妻は再会することができませんでした。
この時の2人の苦しみや辛さは想像を絶しますね。
アウンサンスーチープロフィール
アウンサンスーチーさんの少し若い頃。とってもお綺麗ですね。
- 生年月日:1945年6月19日
- 年齢:75歳(2021年3月時点)
- 市民権:ミャンマー人
- 政党:国民民主連盟
- 宗教:キリスト教
- 思想:仏教の慈悲、非暴力
- 活動:ガンディーの非暴力民主化運
- 所属:国民民主連盟
- 母校:
デリー大学(政治学学位)
オックスフォード大学(学士、修士)
ロンドン大学SOAS(修士) - 影響:マハトマ・ガンディーの非暴力不服従運動
受賞
- トロルフ・ラフト人権賞(1990年)
- サハロフ賞(1991年)
- ノーベル平和賞(1991年)
- 議会名誉黄金勲章(2008年)
- レジオン・ドヌール勲章コマンドゥール(2012年)
アウンサンスーチーの現在は軟禁中?なぜ?若い夫や息子についてもチェックまとめ!
今回は今話題のアウンサンスーチーさんについて、まとめてみました。
現在はどこかは分かりませんがまだ軟禁中のようですね…歳も歳なので心配ですね。
アウンサンスーチーさんは、まだ裁判があったり、ミャンマーではクーデターがあったりと、日本とは起こる事件がかけ離れていて少し難しい問題ばかりだと思ってしまいまし。
調べていてもこんがらがっちゃいました💦
プライベートについては、結婚して二人の子供がいらっしゃいました!
イギリスで専業主婦をしていたのは意外でしたね。全く知りませんでした。
旦那様は、アウンサンスーチーさんは最後会えずに亡くなっているので、悔しかったでしょうね。
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